九州六大学野球連盟は、1957(昭和 32)の年に発足した。半世紀以上を経過したところである。 六大学発足以前から、西日本新聞社の後援を、また発足後には RKB 毎日放送の後援もいただき、60 年以上の学生野球の歴史を刻んできた。 その間、多くの九六OBが社会で活躍してきた。また、多くのプロ野球選手を輩出し、現在も OB がプロ野球界で活躍している。
また現在は、ヤフオクドームを始め桧原球場、春日球場、北九州市民球場、小郡球場、久留米市営球場、筑豊緑地球場、光陸グリーンスタジアム(宮若市)など、多くの球場を利用しているが、70年代、80年代は平和台球場を中心としてリーグ戦が開催された。
その九六の前身は、1951(昭和26)年に発足した「福岡四大学リーグ」である。加盟校は西南学院大、九州大、福岡商大(現福岡大)、久留米大である。 九州六大学発足時にはこれに北九州大学(現北九州市立大)、八幡大学(現九州国際大学)が加盟した。
九州の学生野球の歴史は古く、1924(大正 13)年に遡る。その頃の「九州学生野球リーグ」の加盟校は、西南学院大、九州歯科医専(現九州歯科大学)、福岡高商(現福岡大)、 九州帝国大・旧制福岡高校(ともに現九州大)、九州医専(現久留米大)、明治専門学校(現九州工大)の7校で、翌年から久留米商工(現九州大工学部)が加わった。
当時の九州野球のメッカは、1924(大正 13)年4月に開通した九州鉄道(現西日本鉄道大牟田線)の近くに同年10月に完成した春日球場だった。少年野球、中等学校野球、大学高専大会、都市対抗野球などが開催された。 春日球場周辺には、陸上トラック、テニスコート、バレーコート、バスケットコート、相撲場など様々な運動施設がつくられ、小学生の大会から国際大会まで幅広いクラスの大会が開催された。 しかし、戦時中はここに滑走路がつくられ、戦後は福岡中心部に平和台公園ができたため、1953(昭和 28)年を最後に公式戦は行われなくなり、春日原球場周辺には住宅地に転用された。 今の春日原北町、春日原東町、春日原南町にあたる。
戦後の1946(昭和 21)年には、「福岡県大学野球」がスタートし、九州六大学の前身である1951(昭和 26)年には、「福岡県大学野球」がスタートし、九州六大学の前身である1951(昭和 26)年発足の福岡四大リーグに繋がっていくのである。
今季も九六の歴史の1ページを飾るべく、また各選手の野球の歴史の1ページを飾るべく、六大学の選手達の熱いプレーを期待したい。